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淡路島歴史ローカル

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建物(建物)淡路志知城

  • 所在地:兵庫県南あわじ市志知字松本
  • 築城者:菅 道忠
  • 築城年代:不明

築城年代は定かではないが鎌倉時代初期に菅和泉守道忠によって築かれたと云われる。 菅氏は淡路国三原郡野口村を拠点としていたといわれ、その後、菅氏あるいは野口氏を称している。南北朝時代以降、菅実正は足利尊氏に従い、細川師氏が淡路守護となって淡路に入部すると菅氏もそれに従った。天正9年(1581年)菅長宗のとき、織田信長の命により淡路に侵攻した羽柴秀吉らの軍勢により、志知城は降伏・開城した。秀吉は家臣の黒田官兵衛を志知城に置いて守らせた。
天正13年(1585年)加藤嘉明が一万五千石を領して志知城に入り、志知城が改修されと考えられている。文禄4年(1595年)加藤嘉明は六万石に加増され、伊予国松前に転封となり、その後は秀吉の直轄領となって代官が置かれたが、後に叶堂城に移され廃城となった。

人物脇坂 安治(わきざか やすはる)

  • 時代:安土桃山時代から江戸時代前期
  • 主君:豊臣秀吉→秀頼→徳川家康
  • 藩:淡路洲本藩主→伊予大洲藩主

1585年、脇坂安治は秀吉の九州攻めの際に軍律違反を犯して高野山へ追放された淡路領主 仙石秀久(せんごくひでひさ)代わって洲本城に入城。安治は淡路水軍を吸収。 洲本城を改修して水軍の本拠地とし、豊臣水軍の中核を形成する。(この水軍が、後に北条氏の小田原城攻めで海上封鎖作戦を行い戦果を挙げることとなる。) 脇坂安治は、天守の造営、石垣の大改修などを行ったが、この際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。 慶長14年(1609)までの24年間の在城中、多くの増改築を行ったと考えられる。現在も残る洲本城の石垣は、脇坂時代に作られたものである。また、洲本城の大石段手前に、かつて脇坂安治の実母が住んでいたとされる脇坂安治実母の住居跡がある。

人物古東 領左衛門(ことう りょうざえもん)

  • 時代:江戸時代末期(幕末)

文政2年4月16日(1819年5月9日) 生まれ。 元治元年7月20日(1864年8月21日)没。幕末の淡路国三原郡津井村(現兵庫県南あわじ市津井)の庄屋・豪農で天誅組のパトロン、勤皇の志士。

人物小宰相(こざいしょう)

  • 時代:平安時代末期

小宰相は平安時代末期の女性。刑部卿藤原憲方の娘。平通盛の妻。
一ノ谷の戦いでの通盛の死と小宰相が後を追って鳴門海峡に入水したエピソードは、『平家物語』で一章が割かれ、一ノ谷の戦いでの象徴的な悲話になっている。
小宰相局の墓碑は南あわじ市伊加利に祀られています。お局塚と呼ばれ、墓碑の周辺には季節ごとに桜や藤の花が咲き誇ります。

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