現存する最古の歴史書「古事記」、「日本書紀」によると、天津神(あまつかみ)の命を受けて、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神が天上の「天の浮橋」に立って、「天の沼矛(ぬぼこ)」をもって青海原をかきまわし、その矛を引き上げたときに、矛の先から滴り落ちた潮(しお)が凝り固まって一つの島となった。これが「淤能碁呂島(おのころじま)」といわれています。 二神はその島に降り、夫婦の契りを結んび、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)[淡路島]を始めに四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)[本州]の「大八嶋国(おおやしまのくに)」という国土を生みました。 次いで、この大地を守るべく天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、素戔鳴命(すさのおのみこと)をはじめ祖先神となる三十五柱の神々を誕生させます。国生みの大業から始まる神功を果たされたいざなぎの大神は、神権を天照大神(あまてらすおおみかみ)に譲り、最初に生んだ淡路島の多賀の神域に「幽宮」を構へて余生を過ごされたとされています。
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、国生みの大業から始まる神功を果たされた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りする日本最古の神社です。
また、神話の中の「おのころ島」だとされる「おのころ島神社」「絵島」「沼島」など、島内のあちこちで神話の浪漫が漂っています。
伊弉諾神宮を中心にしてまるで計算されたように東西南北には縁ある神社が配置されていることは実に不思議です。神宮の境内には太陽の運行図としてこのことを紹介する「陽の道しるべ」というモニュメントが建っています。神宮の真東には飛鳥藤原京、さらに伊勢皇大神宮(内宮)が位置しており春分秋分には同緯度にある伊勢から太陽が昇り、対馬の海神(わたつみ)神社に沈みます。そして夏至には信濃の諏訪大社から出雲大社、冬至には熊野那智大社から高千穂神社へと太陽が運行します。
●伊弉諾神宮
●沼島(上立神岩)
●絵島(絵島)
●淡路富士 先山
●諭鶴羽山・諭鶴羽神社
●おのころ神社